熊本県多良木町の延壽寺(えんじゅじ)で副住職を務める松本さん。お坊さんの家系に生まれ、現在は副住職を努めている松本さんですが、幼い頃はお坊さんになることに強く抵抗があったそうです。ではなぜ、お坊さんになる道を選んだのでしょうか。
今回は、松本さんが家業を継ぐということにどう向き合ってきたのか、そのリアルとホンネを話してもらいました。
松本 就顯さん
1980年生まれ。3人兄弟の次男。立正大学を卒業後、自坊(延壽寺)に戻り師父のもと僧侶を志す。長崎県と熊本県阿蘇市のお寺で随身(修行)し、日蓮宗の大荒行堂など経て現在は延壽寺の副住職を務める。
自分がお坊さんになるということはいつ意識したんですか?
小学校3年生ぐらいで、自分は将来お坊さんになることを求められているんだと気が付きました。
気持ちとしては、前向きだったんですか?
めちゃくちゃ嫌でしたね。僕が小さい頃のお坊さんというと、テレビアニメの一休さんとか。みんなに小ばかにされますよね。「一休さん」と呼ばれたり、「頭ツルツルにせんといかんのやろ」と笑われたり。
子供ならなおさら嫌ですよね…。
そうですね。ずっと反発してましたね。絶対継がないって言ってました。もちろん小学生の時には恥ずかしさがあって嫌だったんですけど、中学・高校と上がるにつれて、自分の親の様子を見てて、大変そうだなと。365日お参りして、土曜も日曜も関係ないっていう。
そういうのもあって、休みもないような仕事は嫌だなって。中学・高校にいくに連れて継ぎたくない気持ちは強くなっていきましたよね。
お坊さんってそんなに忙しいんですね…。
ご両親からは何か言われましたか?
「あなたもお坊さんになりなさい」とは言いませんでしたね。言わなかったんですけど、たまに、「お寺のご飯を食べたんだから、どうせゆくゆくはそういう風になるよ」っていうのは言われていました。節々にそういうことを小耳に吹き込まれたって言うか。
こっちの言葉で言うと「みとけよ。どうせそうなるけん。」って言うのはずっと言われてました。
ちなみに、どれぐらい嫌だったんですか?
そうですね。例えば、お寺だからお参りとか法要ってありますよね。そういうものに出ないために、部活の用事を作っていなかったとか。
とにかく家にいたくなかった。中学の時には家出しまくってましたもんね。
すごい反抗ですね(笑)
高校卒業後はどうされたのですか?
東京の大学に進学しました。とにかく、多良木町を出たかったんですよ。遠くに行きたくて、東京っていう選択肢が出てきて。東京に行くためにどうしたらいいか考えると、東京に日蓮宗の大学があるんですよね。その「立正大学に入学するんであれば東京に出ていいよ」っていう条件を出されたんです。それで立正大学に入学することになって、ようやく多良木町から脱出することになりました。
仏教の大学でもいいから、とにかく実家を出ることが目的だったと(笑)
そうなんです。それしかなかったんですよね。だから、立正大学でも例えばお坊さんになるための学部があるんですけども、もちろんそこには入ってないですし。
そうまでして実家を離れたのに、結果的には多良木町に戻られたんですね?
私が大学3年生か4年生の時に、父と母が入院したんですよね。お見舞いがてら久しぶりに多良木に帰って来た時に母の主治医の先生が、「お母さんが倒れた理由はストレスだよ」って。入院の原因の一つを作ってしまったのも自分じゃないかって、その時に初めて考えて。
兄貴が長男だからお寺を継ぐということになっていたんですが、1年だけ僕が多良木に帰って父と母の手伝いをするから、兄が多良木に戻ってきたら、僕はまた東京に戻るよっていうことでこっちに帰るっていうのを決断しました。
小学生の時から大学生までの継ぎたくないという気持ちは数字で表すとどれぐらいですか?
マイナス100ですね。
振り切ってたんですね(笑)
帰ってきて手伝い始めて一月、二月ぐらいの頃もマイナスでしたね。やめときゃよかったって思いましたよ。お坊さんとしてのお手伝いをすることもやっぱり苦しかったし。
それ以上に田舎の寂しさ。遊ぶところがない。楽しみ、楽しむものがないっていう。最初の3か月くらいはそこに苦しみましたね。
地元に戻っていよいよ1年たったその時点での気持ちに変化はあったんですか?
兄が卒業して、いよいよ帰ってくるんですけど、その時の心境が思い出せなくて。ただ、お寺にいようと思って、そのまま実家に残ることにしました。
マイナス100ではなかったんですね!
なかったですね。でもプラスでもなかったと思います。だからほんと0ぐらい。こういう言い方するとあんまりよくないかもしれないけど、そこそこお参りすれば生活していけるって思ってたのかもしれないです。その当時はですね。
だから、居心地のいい職場かな。そのぐらいの考えになってたのかもしれないですね。
ご飯も出てくる。洗濯物も出したらやってもらえる。そういうなまけ心が優先したのかも。だから数字で言えば、何かがやりたくてお坊さんでいるわけでもないし、明確な目標があってお坊さんでいるって言ったわけでもなかったからほんと0。
ちなみに、今はどうですか?
今はもう迷いなく100ですね。今のこの100を振り切る状態に至るまでに20年ちょっとぐらいかかったなっていうのはありますけど。
すごい変化ですね(笑)
プラスに初めて転じたきっかけは何だったんですか?
月並みかもしれないけど、人に頼りにされたときとかですかね。時々電話かかってきて「次男さんお願いします。」みたいなご指名があった。
やっぱり自分が選んでもらえると認められた気がして。そこにうれしさを覚えたんじゃないかな。その辺りから少しずつ、お坊さんも悪くないなって思い始めたんでしょうかね。
人との触れ合いが前向きにさせていったんじゃないかって思うんですね。
逆に、それ以外に気持ちがプラスになるようなきっかけはなかったんですね?
お坊さんって言うのを一つの職業として捉えれば、楽しみがなかったんですよね。その当時の私にとっては、お経を読むだけの人っていう感覚だったんじゃないかな。
田舎ってやっぱお年寄りが多いでしょう。だから僕なんか20代の若者がお参りいくと、お経はもちろん、「高いとこの物を取って」とか、できないことをお願いされるんですね。そういうちょっとしたことなら何でも手伝って、「ありがとう」と言われると嬉しかったんですよね。
劇的に変わったわけじゃなくて、20年ぐらいかけて、今の状態にたどり着いたっていう感じです。
むしろ積極的に継いでいこうと思ったきっかけはありますか。
実際自分がお坊さんになってみてすごく思ったのは、こんなに大変な思いをして父と母が僕を大学まで出してくれたんだってそこに気づけたんですよね。
本当に休みがないんです。父と同じ職に就いて分かる、親のすごさっていうのかな。親のありがたさっていうのが分かり始めて、このお寺で頑張っていこうと思えるきっかけにもなったんです。
親孝行の気持ちですね!
普通の会社さんとは違うと思いますけど、お寺って歴代の住職がいて、その歴代の住職と共にお寺を守ってきたお檀家さんだったり、ご信者さんがいて。そういう方たちの想いを自分の代で途絶えさせるわけにはいけないって思ったんですよね。
だから僕はこのお寺を継ぎたいっていうところでなくて、このお寺を次の代にバトンタッチしていかなきゃいけないって思えるようになって。橋渡ししていくのが自分の生涯の役目かなってとこにやっとたどり着いたっていうとこですよね。
かっこいいなぁ!
松本さんはお子さんはいらっしゃいますか?
3人いて、一番上が小学校6年生。一番下が3歳。長男が小学校1年生。
将来的に、お子さんが「お寺を継ぎたくない」と言ったらどうしますか?
僕が跡を継ぎたくないなって思ってた理由として、住職とか母親が悩んだり、辛そうにしている様子を見ていたこともあったんですよね。
僕が今子供たちに対して思うのは、最終的にはお寺を継いでほしい。娘たちにもお坊さんになってほしいって、僕は思ってるんですけど。それよりも、お父さん、お母さんみたいな大人になりたいって思ってほしい。そのためには、まず私たちがすごく楽しそうにやってること。「お坊さん最高」って言う姿を見せていきたいなって思ってるんですよね。
けど、万が一そうじゃなくなることもあるので、そうなった時には別の所からお坊さんがやって来るっていう手もあるし。一番大事なことはこのお寺をなくさないこと。お寺を無くさないために、あの手この手を考えるんでしょうね。
継がないといけないではなくて、継ぎたいと思ってもらえるようにか…。
まさに仰る通り。継ぎたいって思ってもらえる大人でありたいなって思うんですよね。どの職業でも跡継ぎ問題って出てくるんだろうと思うんですけど。私たち世代がやらなきゃいけないことって、ぐずぐず言ってるだけじゃなくて、自分たちの代でしっかりベースを築いてちゃんと生活していけるようにすることと、楽しんでやってる姿を見せていくこと。
そうなったら自分からお坊さんになりたいって思そうですね!
ただ、お坊さんに関して言えば学校の先生をされながらお坊さんをされてる方もいらっしゃるし、いろんな形があります。
出来ることであればお坊さんだけでしっかり暮らしていけるような状態を作っときたいなとは思います。人口が減っていく中でも頼られるお寺であり続けるようにしていかなきゃいけないなって思ってるところですね。
率直に、松本さんは家業は継ぐべきだと思いますか?
間違いなく言えることはお父さん、お母さんが喜ぶよっていうね。家業を継いだら喜んでくれる人がいっぱいいるよね。僕は親孝行をするためだけでも家業を継ぐっていう選択肢は持っていただいてもいいのかなと。実際僕もそうでしたからね。
20数年経って、気付くところもいっぱいあります。
継ぎたくなければ継ぎたくないっていう理由をしっかり話すことも大事なのかな。僕も親になって、子供達にしっかり継がせてあげたいっていうのが親心。その親心に対して継ぎたくないっていう理由をしっかり伝えて、お父さん、お母さんに了解を得るというか、納得をしていただくって言うのも大切じゃないのかなとすごく思います。
松本さんが継ぐっていうことをご両親に伝えた時は、やっぱり喜ばれたんですか?
きっと父も母もめちゃめちゃ喜んでくれたんだと思うんですけど、表には出さなくて「ほら、やっぱりそうなった」って言いました。「ほれ見たことか」って。だから僕も、今の私はそう思ってます。自分の子供達もお寺のお米を食べて大きくなってるから、どうせゆくゆくはお坊さんになるかなって。そうなった時には「ほれ、みたことか」って言ってやろうかなって思ってますけど(笑)
〜ケンジンからの学び〜
松本さんの場合、家業を継ぐということに前向きになった明確なターニングポイントは存在しなかった。実家の居心地の良さや家業を継ぐことで触れ合う人との関わりがきっかけで、「継いでもいい」と思えるようになり、次第に自分の代で途絶えさせまいとする「継ぎたい」という思いが育まれた。