人口約9,000人の町で新たな事業を立ち上げることの苦悩と未来 【多良木町地域おこし協力隊OB 矢山 隆広さん】
2022.12.12
  • ケンジンインタビュー

今回は、熊本県多良木町地域おこし協力隊OBの矢山さんのお話を伺いました。矢山さんは熊本地震をきっかけに熊本へUターンして暮らそうと考えた時に地域おこし協力隊の募集を知り、多良木町へ移住して来ました。
2年8ヶ月、地域おこし協力隊として活動した後、今は多良木町で荒れた竹林の整備を中心とした事業をされています。
地域おこし協力隊としてどのような活動をして、そこから町への思いがどのように変化していったのか、本音たっぷりのリアルなお話を聞くことができました。

矢山 隆広さん
熊本県出身。熊本県内のスーパーへ就職後、転職を経て首都圏で過ごす。2016年の熊本地震を機に熊本県へのUターンを検討した際、多良木町の地域おこし協力隊の求人を見つけて多良木町に移住。現在は地域おこし協力隊の任期を満了し、多良木町で荒れた竹林の整備をはじめとした事業に取り組んでいる。

戸惑いだらけのスタートから、気持ちが固まるまで

農林産物等プロジェクトマネージャーとして、地域で作られている薪で会社を興す、という募集内容で、それ以外にも色々とチャレンジしていいということで、町おこしにチャレンジするワクワクと自由度のある内容に惹かれ応募しました。
最初は役場の担当部署に席自体はありましたが、業務に関する指示などは特になくて、町の広報誌を読んだり、町の政策を調べたりしつつ、担当のアドバイザーに相談したりしながら、最初の1ヶ月ぐらいは何をすべきかを探る期間だったように思います。単純に、課題を解決していく感覚が楽しそうだなと思って地域おこし協力隊になりましたが、分からないことだらけ、壁だらけでした。こうして最初に躓く人は多いかもしれないですね。

私の場合は1ヶ月経った頃にその悩みが少し解決しました。薪事業のアドバイザーが経営されている会社がある香川県と岡山県に3週間ほど研修に行って、そこで具体的にやるべきことのイメージを持つことができました。岡山県には、村で作った薪でお湯を沸かすゲストハウスがあり、地域の中で採れたものを地域で消費していく地域内資源循環が地域おこしには有効だと学んだのです。これを多良木町でもやりたいと思いました。
研修から帰ってきてからはやる気倍増。月1回の薪部会で様々な提案しました。しかし、なかなか上手くいかず。すっかりトーンダウンしてしまって、愚痴を話せる人もいなかったので、たまにスナックのママさんに話を聞いてもらっていました(笑)着任して3、4ヶ月ほどの時期が一番しんどかったように思います。

そんな中、多良木町の地方創生事業の一つ、「ビジネスデザインキャンプ」が開催されました。様々な業界のスペシャリストが9名集まり、2泊3日で町を見て何ができるか考え発表してもらう、というものです。
そこで多良木町の方々と語り合い、その方々の地元愛を感じることができました。同じぐらいの年代で、この町をどうにかしたいと本気で思っている方々がいるのを知った時に、この町すごいなと感じ、自分の中で大きく変わるものがありました。役場外でそういう人たちと知り合えたのは多良木町に残る要因として大きかったですね。
その後、薪を作る木をどこから集めるか、町中の事業者さんにあたって、3社から供給してもらえることになりました。段取りが少しずつできて、必要な道具も役場から購入してもらえるようになって、12月頃から本格的に動き出せるようになりました。8月の着任から考えると、ようやくですね。

それでもうまくいかない事が多く、地域おこし協力隊担当職員の方に「辞めようと思っています」と言ったことがありました。元々、薪事業以外にも色々とチャレンジしていいという事だったのですが、募集内容のメインである薪で会社を興す、というところに執着しすぎていた部分があり、煮詰まっていたのです。ですが、まずは話し合おうと止められ、薪の事業以外にも色々やってみたらいいんじゃないかと言ってもらい、肩の力が抜けました。
地域おこし協力隊2年目は様々な事にチャレンジしました。もちろん薪の事業はやりつつ、他のことにも能動的に手を伸ばしていきました。指示を待つのではなく、やりたいことを自分の判断でやる。そうして様々な事にチャレンジしていく中で地域おこし協力隊3年目に、荒れた竹林の整備事業をやろう、と方向性が固まりました。そこからはとても楽しかったです。うまくいかないことがあっても、結局自分で考えて行動した結果なので、納得もできました。

面白みが分かると道筋も見えてくる

地域おこし協力隊2年目は、思いついたことをどんどん実行しました。高圧洗浄機を使用したお墓の掃除や、駅長のコスプレをして、町にあるカフェで作られたお菓子を走行する電車の中で配りながら町のPR、町の花火大会が間近で見られる場所で30年ぶりにビアガーデンを復活させたり、とにかく色々なことをしました。
募集内容とは全然関係ないので、周りからは、何をしているんだろうと思われていたと思います。
地域おこし協力隊1年目は、まず地域の全体像を知り、2年目はとにかく思い付いたことをやる、種まき期間だと思っています。3年目はその中で何か1つでも形になりそうなものがあれば、そこに集中して特化していく。協力隊就任当初から、大体こういう3年間にしていこうというイメージをぼんやり描いていて、大体そのとおりにさせていただきました。

ただ、2年目の後半頃から、常に焦っていましたね。色々な事にチャレンジしてきましたが、どれもこれでは食べていけないなぁと思っていました。3年目に、就職や他の地域おこし協力隊への移籍などの選択肢も考えていました。
最終的には、国の交付金を活用した竹の事業で当分は生活していけると確信できたので、多良木町に残る決心がつきました。多良木町に残る決心がついてからの残り任期半年ほどは、竹の事業のみに集中して取り組みました。
地域おこし協力隊を卒業して1年目は収入が低く、ほぼ竹事業の交付金に頼っていたので収入的には厳しかったですが、掛け持ちでバイトをしてでもここに残りたいという気持ちがありました。今では国の交付金事業以外の仕事も増えてきて、収入も少しずつ増えてきました。

ご縁を大切にし、自分が興味あることを追求していきたい

地域おこし協力隊を任期満了まで務めてみて、行政の中で少しでも仕事ができたことはとてもいい経験になりました。
地域おこし協力隊を経験したことで私自身大きく変わったことは、能動的に動けるようになれたことです。地域にあるものであまり目をつけられていないものを自分で見つけ、それで稼いでいくというのは、とてもクリエイティブな楽しさがありますね。

また、ご縁にもとても恵まれました。たまたま行ったビジネスキャンプで出会えた人たちが、地域を良くしようという熱い方ばかりで、たまたま自分がやりたい方向性とこの町の資源が合致して、たまたまここに残っている。後から考えると、全部うまく組み合わさったのですね。ご縁に恵まれて、ここに残りたいという覚悟もできました。

これから地域おこし協力隊として活動する人に伝えたいのは、自分の興味が向くことを追求してほしいということです。私はそれが竹で、興味があったからどんどん勉強したし、いろんな所に行って仕事にも繋がっていきました。その原動力を闇雲に探すのは無理があると思います。仕事自体はいろいろあっても、楽しめるか、続けられるかといえば話は別。自分が楽しいと思えることを見つけられたのが、地域おこし協力隊になって一番良かったことだと思います。地域おこし協力隊になるまではどんな仕事をしていきたいかなど、何も決まっていませんでしたからね。

田舎ではネットで検索してもなかなか情報が出てこないことが多いです。そんな中で情報を得るには、自分が考えていることやしたいことを、とにかく人に話すことだと思います。
すると、詳しい人を紹介できるよという流れがポンと出てくることがあります。今やっている竹の事業も、そうした流れから発展していきました。田舎で情報を得る方法は、人づてが多いです。
地域の不動産屋の社長に竹の事業の話をしたら、隣町で竹の伐採をしている人がいるよと紹介していただいたんです。ネットは広く情報収集できますが、人づてで手に入る情報は狭く深い情報収集となります。
飲み会も無理に行くものではないと思いますが、仕事に繋がる情報を得られたり、普段あまり接することがない行政職員とコミュニケーションを取ることもできます。地域の方々や行政職員の方々には、活動面ですごく助けていただきました。これも日頃のコミュニケーションがあってこそだと思います。ご縁をどれだけ大事にできるかが大切だと思います。

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