「フリーミッション」で地域の中での自分の立ち位置を作る【北川村地域おこし協力隊 長友さん】
2022.12.12
  • ケンジンインタビュー

今回は、高知県北川村の地域おこし協力隊として活動している長友さんのお話を伺いました。長友さんは大阪府の出身ですが、母親の出身地である高知県に幼い頃から愛着がありました。移住を検討し始めた際、3年ほど現地で働きながら定住を目指す「地域おこし協力隊」の存在を知り、定住の土台を築くために高知県北川村の地域おこし協力隊に着任しました。大阪から全く違う環境の村に移ってきて1年半、どのような生活を送りどのような心境の変化があったのか教えていただきます。

長友 美智子さん
大阪府出身。大阪芸術大学卒業後、ライブ活動、演劇活動、合唱団伴奏付をしながら小学校音楽専科常勤講師で全学年の音楽指導を受け持つ。その後、CAD利用技術者の資格を取得し、耐震構造設計会社などを経て、2021年2月から地域おこし協力隊で高知県北川村に移住。フリーミッション型で地域の人との関わりを主体とした、地域活性のサポート活動をしている。

フリーミッション型で幅広い活動を

地域おこし協力隊には活動内容が明確な「ミッション型」と活動内容も自分で決める「フリーミッション型」がありますが、私はフリーミッション型です。フリーミッション型の地域おこし協力隊を選んだ理由は、自分の目線で動きやすそうですし、活動を決められるよりも自分でコミュニケーションを取って進める方が面白そうだと思ったからです。母の故郷である高知県東部への移住を検討していたところ、フリーミッション型の地域おこし協力隊を募集している北川村に興味が湧き応募しました。
移住してきた当初は、まず役場の方の計らいで各部落へご挨拶に回ったのですが、その後は活動内容が決まっておらず、まだすることがありませんでした。最初にいただいた仕事は、地域の方のお庭の苔掃除でした。誰も知り合いがいない土地で、やっと地域おこし協力隊の仕事が始まったと思って嬉しかったのを覚えています。苔むしり作業も初めての経験で、気持ちのいいお仕事でした。この経験から今につながっているお仕事もあります。

苔をむしりながら、とにかく地域の方に顔を覚えてもらおうと考え、社会福祉協議会主催のいきいき体操に参加しました。地域に馴染む目的でしたが、参加者の元気につながることをしてもらえないかと依頼を受けました。そこで始めた音楽療法が好評で、現在でも継続しています。そこから地域のコミュニティにもつながり、子どもたち対象の体験企画なども行っています。
最初に苔取りのお手伝いをしたお家の方の発案である、苔を使った商品づくりのお手伝いもしています。椿を育てている方の椿展示会もお手伝い中ですし、Twitterや広報誌で移住者の視点からのPR活動も行っています。まとまりがないですが、フリーミッション型ならではの働き方かなと思います。
フリーミッション型は、特化したもののみを進めていくわけではなく、広く浅くという形なので、こんな感じでいいのかなという不安もありますが、自分が興味を持つことを目で見て知ることができるのが特徴だと思います。

悩みながら見出した任期後のビジョン

北川村にはモネの庭という観光スポットや、こつも焼きという陶芸などのアートがあり、私はそこに魅力を感じていました。だから地域おこし協力隊の任期後は、そういう北川村の魅力を私のような田舎に行きたい人に伝えるためにゲストハウスなどを始めて生業にしていけば、北川村に住み続けられると思っていました。
ただこれは、北川村に来る前の話です。村でいろいろな人と関わって動く中で、だんだん将来のビジョンも変わってきました。ここでは自分自身で起業しないと、暮らしていけないという現実があります。セミナーなどを受ける中で、やりたいことを考えたときに、宿泊業よりも地域の魅力を外に伝えていくガイドをしたいという思いが強くなり始めたところです。

正直なところ、今でも不安や悩みはあります。ただ、不安や悩みはいつまでもあると思います。私の場合、もともとここに受け皿はなく、3年たって見つからなければ、ここでは暮らしていけないという前提があります。地域で働き口を探すか、自分で何かを興さなければいけない。それができたとしても、将来が安定するとは限りません。
でも、そうして悩みつつ動く中でも村のことが好きで、任期終了後もここで家を構えていたいと思っています。どうやってここで暮らしていくかを模索するのが、地域おこし協力隊のもう1つの側面かなと思います。地域おこし協力隊はあくまで移住の前段階で、実際のスタートは任期が終わって地域で暮らしていくこと。そこから本当に悩む時期に入るのかなと思います。
ただ、他の地域おこし協力隊の方や先輩方からよく言われるのが、絶対何かを興さなければいけないと思うと苦しくなるからいけないということです。確かに定住の準備期間ではあるけれど、どうしても任期終了後のビジョンが見えない場合は、方向転換して構わないと言ってくださいます。
積極的に、村以外の地域や面白そうなところにも行って交流するようにしていますが、その中で出会う先輩方の話に共感できるようになりました。ただ、北川村は魅力的なところですし、ここで生活したいと思うので、任期後も住み続けられるように行動していきます。

協力隊地域おこし協力隊としての自分の立ち位置とは

来る前と後とで1番変わった感覚は、自分は村おこしのために入ってきたのではなく、村の人が何かをしようと頑張るところに寄り添うのが仕事であるということです。悩んだ末の変化ですが、かなり意味合いが違います。
得意だから、こうしたいからと、自分主体に物事を進めるとうまくいかない。むしろ、自分は完全にサポート役で、主役は地域の人なのです。求められているのは、地域に寄り添って、その中で自分ができることを一緒に考えていくことです。最初は、イベントで面白い人たちと繋がって、アートや音楽的なものができたら楽しそうだなというイメージがありました。しかし、実際に動いてみると、自分がしたいことと、地域おこし協力隊の仕事は、別物です。自分がしたいことは、オフの時間に全振りしています。
こう思ったきっかけは、自分が良かれと自主的に提案したとしても、実際に地域の人が欲しいと思っていることとのギャップがあることが多いと気付いたからです。地域の人の生活が豊かになることは理想ですが、地域活性化とはいえ、大きな変化を求められているわけではありません。地域活性化の主体は、もともと住んでいる人たちです。その人たちから、こうしたいから力を貸してくれないか、と言われたときが初めて自分の出番です。
最初はやはり意気込んでいたので、結果を出すために大きな行動をしなくてはならないのでは、と不安でした。ですが、先立ってコトを起こすこととは別物であると気付いて、肩の力が抜けました。
同じ仕事をしている人もおらず、どうしても悩みや孤独感は出てきます。しかしそれ以上に周りからの助けが多く、この村を好きだと思えるのです。地域の方の活動をサポートする中で新たにつながりもできます。気にかけてくれたり、ご飯に誘っていただいたり、そんなフレンドリーな方々と繋がれたことが嬉しいです。気が合う方や、将来の相談をできる方もいます。地域おこし協力隊として田舎に来て良かったと思えるところです。

地域の「当たり前」を受け入れること

地域おこし協力隊になるにあたって大切なことは、自分が当たり前だと思っている常識を当たり前だと思わないこと。自分の当たり前が、こちらでは真逆の意味だったり、通用しなかったり、それが当たり前です。今までこうだったのになぜ通用しないのかと思わずに、逆に自分が融通を利かせシフトチェンジしていくことが、うまくやっていく秘訣かなと思います。
そして、挨拶をすることも大事です。思わぬところで配慮が必要だったり、人との距離感に戸惑ったり、都市部の暮らしには無かった地域のルールを知って驚くこともありますが、そこは覚悟していたので、私は受け入れやすかったです。
最後に、土地の風習や、土地の人の性格というものがあります。高知県だったら高知県民の性格がありますが、西側と東側の地域を比べても性格が違うのです。住む人は風土に影響されていくので、まずそういう土地柄を掴めたらいいです。
あとは肩肘をはらずに自分から話しかけていけば、うまくいくかなと思います。私はそうして、北川村を好きになれています。

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